【 頼まれごとは試されごと 】

 

【 頼まれごとは試されごと 】

著名な中村文昭さんの、著書の中に出てくる言葉です。
とてもよい教えだと私は感じています。

お客様からのご依頼や、苦言に対して、

はいはい。

とやる。もしくは、かわす。

そういった人には
ぜったいに繁栄はない。

間違いなく、今のままのレベル感で終わる。

それでいて、もっと売り上げがほしい、
喜んで欲しいなどと、たいへん矛盾なことである。

お客様(他人さま)から要望があがる、というのは
何か、おかしいのである。

それでいて、すべてを変えなさいと
いうわけではないが、
なるほど、ここは変えるべきなので、
何かを追加してみよう、やり直してみようと、
『気づき』に変えるべきだ。

費用感や満足度、
俗に言う利益や売り上げ、
ひいては自分の夢というのは、
その積み上げた延長線上にしかない。

その場は笑顔でかわしたとしても、
お客さんは、わかる。

なぜなら、行動していないからだ。
そして、お客さんは感ずる。
「わたしが悪い、あんたが正しい」
そして、「二度と行きません」。

中村さん著書いわく、
これは、試されているのだと、
持ってこられたものの120%の出来き栄えで、
提案する。

その情熱が、現状を切り拓く。

とはいえ、
今より高みに登りたくない人、
人のいうこと聞きたくない人、

というのは、そのままでよい気がする。

ただ、依頼や苦言をしてくれたお客さん(他人さま)を
裏切っているのは、間違いない。

気づかずに、世間に負債(マイナス)を生み出してしまっているので、現状程度のサービスと相殺されてしまう。

夢語るに叶わないのは、
このあたりが原因で、
そこだけは、ぜひ自覚を持って商売をして欲しいなと感じる。

その点に、自覚のある人の商売は、
それはそれで、たいへんに素晴らしいものだ。

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【 打てば響く 】

何事も、自分から物事を変え、
発信すれば、事態は変わっていく。

私の場合、マネジメントに関わるせいか、
人に嫌なことを言うケースが多い。

しかしながら、道理の通り、正しいことを言っても
その人に伝わることは、限りなく少ない。

例えば、その人のやり方なり、性格なりが
ひん曲がっていたとする(笑)。

しかし、それをそのまま指摘しても
ぜったいに聞かない。

自分のケースをおいても、
それは、そうなのだ。
奥さん、旦那さんがいる方は、
想像が易いかと(笑)。

ゆえに、遠回しにいう事もあるし、
あえて怒らせるようなことを言う時もある。

ゆえに、超嫌われる。その瞬間。

ただ、学びの高い人、感度の高い人は、
すぐに我に返る。

その時点で、はじめて学びがある。

学びや指導とは、そんなにスマートなものではない。
すぐれたテクニックなどもない。

感情うずめくなかで、
相手のことを想って真剣に向きあえば、
切り合い、喧騒のようなやり取りになることもある。

昔からそうなのだが、
自分は嫌われてもかまわん、といったところが私にはある。

別に、すごい人を演出しているわけではなく、
幼少から孤独になれているので、
普通の人より、耐性があるのだと思う。
単純にひねくれているのかもしれない(笑)。

その分、言い方には、非常に注意しながら、
相手を刺す(笑)のだが、
そうする相手は、今よりも向上して欲しいなと、
芯からねがう相手である。

この点は、弊害も強いが、
じぶんの限りなく良いところだと思っている。

話は移るが、
人が今よりも上に行くには、
往々にして”真逆”のことを行わないとならない。

お客さんを大事にする人は、
自分が好きで、我が強い。
投資を愛し、利益を追求する。

こういう人は、おうおうにして、
業者、スタッフ、身内に厳しい、
と、いうか反故にする。

ゆえに、裏切りや、ブラック扱い(笑)などをうけてしまう。
それもごく近い身内から起こる。

スタッフや、家族、業者さまなどを大事にするようにすれば、
向上へと向かうのだが、
まったく聞かない(笑)。

反対に、まわりを大事にしすぎる人は、
自分を大事にしない。
自分を大事にしない人は、なぜかお客さんを大事にしない。
ごく身近な人で固めていく。

ゆえに、売上は伸び悩み、
真綿を絞めるように、利益がひっ迫していく。

これも、人を大事に、というと
「しとるわ!」という(笑)。

人は、本当に難しい。
変わるというのは、至難の業である。
そもそも気づくことが難しい。

ただ、そういう事を伝えられるように、
自分をとにかく鍛えていかないといけない。
自分を変える以外に、何かを変える方法はないと、
私は、常に思っている。

とにかく、強くなりたい。

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【 情熱と熱量 】

仕事にも人生にも、
何事においても達成を為すには情熱が必要だ。

情熱は、自らの意志で湧き出てくれればよいのだが、
大抵の限り、なかなかそうもいかない。

私の場合なんぞは、ひどい(笑)。
そうとう痛い目にあわないと、情熱は出ない。

ここ数年の話で言うと、
もともと私はFC加盟で独立したのですが、
他店舗展開した途端に、本部が機能停止。

それを追求したところ、転貸借を持ち出され、
店舗を追い出されそうに。
凄腕弁護士さんのおかげで防御できましたが、
ほとんどゼロ円状態でのギリギリ経営が続く。

ちょうどそのころ、ずっとひきこもりだった妹が、
重度の統合失調症に。
精神病院に入ることに。

それから半年あたりに、
本部との衝突の重圧と、
スタッフへの対応のストレス、
家族のストレスから、
自分も重度の精神症になる。

経済も、家庭も自分もズッタズタになって、
はじめて自分の非力さに気づきました(笑)

「ああ、これは俺がやらなきゃ、と。」

遅いっ!(笑)。

それまでは、努力はしていましたが、
なんかノリと勢いでやっていたような気がします。

『本気』ではやっていない。

しかしながら、
この超絶きつかった経験が、今を作っています。

本部が機能せず、お金だけ取られるようになったことで、
『開発と教育』の重要性を知りました。

どんなに運営能力、要は現場力が高くても、
商品開発や仕組み、そしてその教育がないと、
ものごとは発展しないのだと。
いまではすべて、自力でできるようになっています。

そして、健康の重要さも、痛いほどわかりました。
自分の意志とは別に、身体が動かないって、ほんとにつらい。

心も大事だけど、
身体が心を創ってるんだな~と。

今や、それらの経験が自分の情熱になっています。

もうぜったいあんな目にあってたまるか!
っていうのと、
そういう人たちに、なんかできないか!?

というような、情熱と熱量。

「僕の夢は小さい頃から・・・!」

と、いうようなかっこいいものではないです汗

死の淵から、蘇ってきた人が、
なんとしてでも生きぬいたる、みたいなところから始まっている。

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